33歳、新卒で仕事をはじめたとして10年経ちました。
まだまだ若輩者であり、先輩方の仕事ぶりを日々学びながら、一方で後輩の方ともチームとして仕事する、そんな状況です。
2021年末、自分の思考の整理も兼ねて、考え方を残しておこうと思います。
「仕事が好き」本当に?
自分は元来「仕事好き」だと思っていました。新卒の頃から早く成果を出したいともがき、空いた時間で読書や勉強会に参加するなどいわゆる「意識高い系」であったと思います。
当時は得体の知れないエネルギーがそれを支えてくれたのですが、結果として精神を壊してしまいました。いま振り返ると、心のどこかで「逃げたい」と思っていたのかもしれません。
自分ごとの他責思考
キレイゴト抜きに表現すると、
自分がなんとかしなくちゃ、と思っていても、どこかで誰かがやらないから自分がやるんだ。という、他責思考から仕事に取り組んでいたのだと思います。
周囲のことを考えない利己的な状態であり、自分ひとりでできる仕事なんて、たかが知れています。自己完結で、まわりに耳を傾けずよくない方向に向かった結果、かけた時間に対して成果も出ず、疲れてしまったのだろうと思います。
ハラを括るということ
そこから数年後、シチュエーションとしては新卒時代よりもハードワークで、プレッシャーの大きい仕事に出くわす機会が何回かありました。「2週間寝ない」みたいな状況です。
当時の自分だったら壊れていたのでしょうが、不思議となんとかなりました。
何が違っていたのか。
とある時期から「積極的に人に任せる」ことをしていました。
これは「自分のハラを括る」態度とセットです。自分が主体となって、その仕事を進めていくのだという強い使命感と、そのために周囲の方の力を借りてスピードと品質を落とさずにゴールに向かっていく。そんな考え方と進め方です。
現場の声とかリソースとか、意見だけを聞けば「できるわけがない」仕事に出くわしたとき、必要なのは「ハラを括る」ことだと知りました。こうなったらもう、退路をたって前に進めるしかない。
言葉尻だけを捉えると新卒時代と変わらない態度のように見えますが、おそらく「ハラを括るが組織として責任感持って物事を動かす」という視点が当時と異なるのだと思います。
誠意をつくす。頭を下げる。
この態度で物事に取り組むとき、自分の考え方は「どんな手段を使っても物事が進めば良し」という心持ちでいます。特に規模が大きく利害関係も多いプロジェクトになるほど、調整や合意にかける時間が必要です。ここを無視するとプロジェクトは頓挫します。
そうなった場合、とにかく会議は「決めてもらう場所」として最短最速の意思決定をするしかありません。資料プレゼンや相談ベースでの持ち込みで論点を定めて、合意する。基本的にはこれなのですが、物事がすべて理想通りに進むわけがありません。
そうなったとき、最後は無理を承知でお願いする状況が多々発生します。
このときに心の底からプロジェクトの成功を信じて強い意志を持って前に進める覚悟があるか。
関係者に誠意を尽くす、ときには頭を下げて無理を道理にしてもらう。このようなことに対して免疫なく行えるかどうか、というのは物事を進める上で重要な思考なのかもしれません。
「歩」でも、前に進めば「金」に成れる
自分は、動くよりも考える性質だと思っていました。実際、マーケティングという仕事に携わる中でいろんな知識・情報から見通しや構えを考えるのは好きです。
しかし、仕事の現場では「考えること」は何の生産性もありません。これをアウトプットにして実行するための能力が必要です。大きな仕事なら尚更。
この数年、この実行力・推進力といったものを意識して仕事をする機会が増えてきました。
将棋の歩は前にしか進めません。しかし、敵陣に入ると金に成ることができます。前に進んだ結果「成る」ことができる訳です。
誰かをサポートする参謀的な仕事は好きです。ですがそれだけでは何も動かない。
少なくとも一歩前に物事を進ませる「歩の参謀」でありたいと思います。
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