6月7日はプリンスの誕生日です。
プリンスという一人のアーティストを通して、企業と個人、送り手と受け手のマーケティングコミュニケーションについて考えてみようと思い、この記事を書きました。
そのためプリンスを知らない方でも読み進められるよう最大限の努力を試みます。私自身はプリンスが大好きでたまらないのですが…できる限り客観的なデータに基づいて論じていきたい。
彼の足跡をたどることで、クラウドファンディングやサブスクリプションサービス、ファンベース、といったここ数年のマーケティング的な概念について、何らかの示唆を得られることができるのではないかと思い立ち、この記事を書いています。
また、音楽業界の取り組みについて、アーティスト起点から論じられているものがまだまだ少ないのでは、という点も執筆動機であります。この記事がその一助になれば幸いです。
はじめに
彼は生涯44枚(!)のアルバムを作り、ほぼ毎年といって良いほど精力的にライブ活動を行なっていたアーティストです。そのため、たかだか数千文字のブログでそれを語り切れるわけもなく…。この記事ではあくまでもプリンスというアーティストのケーススタディ記事だと捉えていただければと思います。
プリンスって誰?
きっとこの記事を読んでいる方の中には「プリンスって誰やねん」と思う方がいらっしゃると思います。彼のプロフィールは、日本国内に最高に愛のあるファンサイトが数多くあるので、そこを参照いただければ幸いなのですが、ざっくりいうとこんなアーティストです。
- 80年代、アメリカで「パープルレイン」という映画を機に、全世界で爆発的に人気の出た黒人アーティスト(マイケルジャクソンと比較されがち)
- 12枚のプラチナアルバム、30曲のヒットシングルを叩き出す
- 2016年に急逝するも、同年の「最もアルバムを売ったアーティスト」にランクインするぐらいに愛されている
音楽論的なものも含めて超すごい人なのですが、今回はそこに突っ込まずに行きたいと思います。
それでは行きましょう。キーワードは「早すぎた」です。
プリンスの「早すぎた」チャレンジ
早すぎたインターネットサービス
プリンスは1996年にウェブサイトを開設し、その後、当時としては革新的であったインターネット通販を行います。
当時、プリンスはアルバムやシングルの本数をはじめとするレーベル側との契約に異議を唱え、両社が対立する関係にありました。
96年前後のアルバムは、名義がそもそもプリンスではなかったり、プリンス名義でも過去の未発表アルバムや「2日間でレコーディング仕上げた」と言われているアルバムを発売したりと、契約消化を明らかに意識した作品と、真に聴き手に届けたいと思われる作品が混在して世に出回る状況でした。
そういった取り組みのひとつにインターネットを使ったダイレクト通販がありました。
96年は、Amazonが創業2年目、楽天は創業1年前。
Eコマースの市場がまさにこれから生まれようとするタイミングでアーティスト個人のウェブサイト、Eコマースに取り組みます。
早すぎたサブスクリプションサービス「NPG Music Club」
ウェブサイトを度重ねてリニューアルしてきたプリンスは、2001年に立ち上げたサイト「NPG Music Club」で、年会費制のサブスクリプションサービスを始めます。
これに契約すると、毎月、音源や配信限定アルバムのダウンロードができたり、LIVEチケットの優先販売、リハーサル参加券、オリジナルのポッドキャストといった特典を受けることができます。
iTunesが始まった2001年に、プリンスは2010年代以降に普及が進んだサブスクリプションの先駆けのような試みを行っていたようです。
チャレンジの結果と、その目的について
プリンスがこれらを通して志向していたものがアーティストとユーザーのダイレクトな繋がりだったのではと考えます。
刹那的ではない長期的なファンとの関係性づくりと、中間業者を介さない独自のチャネルづくりを試行錯誤していたのが、この時期のプリンスだったのではないでしょうか。
これは、裏返すと、レーベルといったダイレクトなコミュニケーションの阻害要素を排除することでもあります。属人的なコミュニケーションと、秩序をもたらす存在のバランス関係が崩れると、ともすればユーザー視点を欠いた一方的なコミュニケーションに陥りかねません。
当時の状況にまつわる情報がインターネット上に部分的に残っていますが、それを読んでみると、そんな状況に対し、ついて来れないファンもいたかもしれません。レコードの販売状況を見ても、一般的に全盛期と言われている80年代と比較して、売上も伸び悩んでいたようです。
しかし、ここまでの取り組みから何かを学んだのか、プリンスは2000代中盤に大成功をおさめます。
試行錯誤の行きついた先
2004年に行ったコンサートツアーが、全米で年間最高の観客動員数と収益を記録。
2006年に販売されたアルバムは、17年ぶりの全米1位獲得と、2000年代中盤はプリンスがポップアーティストとして再評価された時期でした。
この時期にプリンスはアルバムとライブをつなげるようなキャンペーンを実施します。
2004年のツアーでは、ライブ参加者に対し無料でアルバムを配布。
2006年のアルバムでは、アルバムの中にプリンス宅で行われる限定ライブチケットがランダムで封入されており、チケットを手に入れた人は超プライベートなライブを見ることができる、ということで話題性を集め、このアルバムはプリンスにとって17年ぶりの全米チャート1位にランクインしました。
アルバムを単体で完結させるだけでなく、ライブと連動させることで、アルバム枚数、ライブ動員数どちらも伸ばし、経済的にも大成功しています。
この時、プリンスは「配給合意」という形でアルバムごとのスポット契約を結び、各アルバムごとのプロモーションや流通などをパートナー企業に任せる、という取り組みを行っていました。これ自体は数年前から取り組んでいた契約形態なのですが、経済的な成功を収めるのはこの時期はもっとも大きく、プリンスの求めるコミュニケーションと、レーベルという「中間業者」との関係性が最もWin-Winとなって表れた成果と言えるでしょう。
また、その背景にはNPG Music Clubを通じて行われていた「小さな経済圏」づくりがブースターとして存在していたのかもしれません。
プリンスから学ぶこと
これらの事例を通して学ぶべきことはなんでしょうか。
私は、個人と組織の横断と、コミュニケーションの試行錯誤がポイントだと考えます。
誰もが当たり前のようにSNSを介してダイレクトにつながることができるようになり、インフルエンサーと呼ばれる力を持つ個人が顕在化してきました。これにより個人とその周辺のコミュニティによる「小さな経済圏」ができつつあり、マネタイズできる場所も数多くできつつあります。
その一方で、お金や企業が大きく動く「大きな経済圏との接続」が今後の主題になっていくのではないでしょうか。
プリンスはそのための方法として「配給合意」という解を見つけ、結果として個人としての力を最大化させることができたのではないかと思います。
もし彼の試みが個の時代を先取りしていたひとつの指標だとしたら、個と組織の向き合い方も、これからさらにアップデートされていくのかもしれません。
おわりに
個人が手をあげることができるサービスに関わるものとして、とあるアーティストを事例に人のつながり方、サービスの届け方、そして経済としての成立方法について考えてきました。
前述した通り、組織から人単位へとビジネスの主観が変わりつつある現在において、プリンスの足跡はその変化の先を見据える一助となり得るのではないでしょうか。
ここからは完全に蛇足…
プリンスは亡くなる直前まで、生まれ故郷であるミネアポリスに居を構え、そこで活動を続けていました。億万長者となった後も、地元に根をはりそのコミュニティとつながり続け、結果として経済的にも貢献している「Buy Local」の精神を持った人でもあります。
これも完全に蛇足ですが、愛用しているメインギターは日本産であり、グラミー賞やスーパーボウルのハーフタイムショーで日本の名機が堂々と弾かれています。
地元への貢献、ギターを通じた日本との関係性という二点が、自分がプリンスについて興味を惹かれる一因なのだなと気づきました。
すでに亡くなってしまった人物のため、本人の意図を知ることはもうできないのですが、こうだったら良いなぁ、という期待と妄想も込めて、この記事を書き終えたいと思います。
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