“空から笑顔の種をまく。”
そんなステキなフレーズをもつ地元資本の航空会社を使って、東京から1時間半のフライトで着く宮崎は、自分の故郷でもある。令和を迎えたゴールデンウィークは宮崎に戻っていた。
この休みは、地元で暮らす人々と出会うことの多い休日となった。
街づくり時代の仲間たち
学生時代、宮崎の中心市街地商店街の活動を共にした友人は、5月3日に結婚した。
ビビるほどに年下で美人な妻と、楽しく夫婦生活を送っているそう。
この結婚式を通して、街市などのまちづくりの活動を通して色んなことを教えてくださった「あの時の大人」の皆さんとの再会もあり、等しく年齢を重ねていても、昔の頃と同じように接してくださってありがたかった。
アラタナ時代の仲間
「相談に乗って欲しい」と連絡をもらってアラタナ時代の同期「かめもときえ」と会った。
彼女は現在、デザイン事務所を立ち上げ地元で大活躍しているらしい。
キママブックスを始め地元のお店だけでなく、minneを使って販売していたり、Instagramを始めSNSでの発信も積極的にしている。
また、宮崎のテレビ局「MRT」のリーフレットデザインなどのお仕事もしているようで、ただでさえ少ない宮崎の若手クリエイターとしてめちゃくちゃ活躍していて、自分の襟を正す機会になった。
宮崎、食が最高
閑話休題、宮崎は食い物が美味い。美味すぎる。
地ビールのバリエーションは多く、焼酎も安価で種類も豊富で美味しい。
宮崎牛、伊勢海老、鮮魚の活け造りなど東京で食べたら確実に値段の桁が変わりそうな食材を堪能しまくった。
小学校からの同級生が「スマホブラウザのスタート画面を食べログにしている」ほどの食い道楽になっていた。
そんな彼が県南側の日南にある、とあるお店を紹介してくれたのだが、そこのウニ丼と伊勢海老の味噌汁がとりわけ美味かった。こんな所があったとは…
訪うについて
さて、今回帰省した中で一番時間を使ったのは訪うについて。
訪うは「誰もが住みたくなる旅先を創る」を合言葉に、宮崎の企業や行政体などに対し、イン/アウトバウンドのコンサルティングや多言語化のサポートを中心に営んでいる。
代表であり妻でもある日髙葵が、その事業のほとんどを手がけ、有り難いことに地元の様々な方からお仕事のご相談をいただいているという状況。
47都道府県の中では相対的に市場は小さいが、それでも訪日客の増加の影響を受け、市街地や観光地は、海外から来た方々が宮崎で多く見受けられる。
もともと妻は県外で長く暮らし、とある事情により宮崎に戻ってきた際「日本語しかない」宮崎の風景に、課題感と可能性を同時に感じ、訪うを創業することになった(と私は勝手に捉えている)。
妻は、大学時代、留学生が暮らす寮のチューターとして、日本にいながらも日本語が聞こえてこない環境で数年を過ごしていた。
そこで妻は「多文化共生」を地でいく暮らしを送り、国内外を超えたビジネスへの関心が高まり、結果、数年後にラオスでBtoGのコンサルティングを手がける現地法人の会社に飛び込むこととなる。
本人はあまり口にしないが、妻の物事の捉え方や人との向き合い方を見ていると確実にこのころの体験が影響しているのではないか、と思うことが多い。
今回、高千穂をはじめとする宮崎各地を回ったのだが、これは、訪うが今後どんな人をハッピーにして、そのためにどんなことを手がけていくかということを「体験」を通じて考えるためでもあった。
私にできることは、妻の考えや思いをできるかぎり言語化し、数字やフレームに落としこむことぐらいだけど、今回の帰省を通してどのような道筋で訪うとして「体験」を提供していくかについてお互いの考えを深められた(気がする)。
妻のことを書きたいのか訪うのことを書きたいのか分からなくなってきたが、宮崎にはこの記事で紹介した素敵な人たちがたくさんいる、ということを知ってもらえたら嬉しいなと思う。(あと料理もめちゃうまい)
東京も大好きな街だけど、じっくり腰を据えて楽しむ地元も悪くないなと思った、平成〜令和またぎのゴールデンウィークでした。
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